親心をお人形に表現してゆく -1963年、東京都生まれ。祖父は、人間国宝である人形師 原 米洲。母は、女流人形作家の原 孝洲。代々の人形師の家系で育ち、仕事歴27年。お人形の愛らしさに加え、親の思いや願いをどのようにお人形に表現してゆくか。そのことを常に大切に考えながら、お人形づくりに励んでいる。私たち「ふらここ」は、プロの人形職人たちが役割を分担して、ひとつのお人形をつくり上げてゆく人形工房です。もともとお人形は、多くの職人たちが分業で制作するものですが、私たち「ふらここ」の工房は若手の精鋭たちが結集し、 自分たちの熱い思いを形にするために生まれた人形工房です。
昭和7年、東京に生まれ、幼少より父 初代真多呂について人形制作を学ぶ。昭和30年、慶応義塾大学卒業。在学中より彫塑やデッサンを学び、平安朝風俗人形をはじめ、創作木目込人形を多数発表し高い評価を得る。昭和53年、通産大臣指定 伝統工芸士に認定され、昭和61年には東京都ひな人形卸商協同組合 理事長に就任。昭和63年、社団法人日本人形協会 会長に就任。平成10年、業界内外における数々の功績が認められ、藍綬褒章を授章。現在に至るまで、コンクール等で数々の賞を受賞し、現在は社団法人日本人形協会 名誉顧問。人形の原型はすべて一体一体丹念に作り上げられています。だからこそ、真多呂人形はいつまでも飽きのこない、眺めれば眺めるほど味わい深い逸品に仕上げられるのです。
昭和23年9月東京都荒川区生まれ。昭和46年株式会社吉徳大光に師事。 昭和49年に伝統工芸士柿沼東光に 師事し以来江戸木目込人形製作に専念。華麗なる色彩による親王飾り、風俗人形などを発表。とりわけ螺鈿の象嵌や彩色二衣重の木目込み人形など独自の技法を学び、 技術向上に努めながら、常に“時代の今”を見つめ、斬新な作品づくりに取り組むスタイルで新しい東光ブランドを築いている。新しい価値の中に継承される伝統技術を生かし、日本人の心の中に流れる、日本古来からの伝統美を作品に込める事こそ柿沼東光の業の真髄であると自負いたしております。
大正九年東京の下町 下谷竹町に創業し、以来八十有余年に亘り、日本人形の製造を続けている。現在の松崎幸一光は三代目。主にひな祭り、端午の節句の品を製作して、伝統的で優美な人形と独自の作風による創作的な新作を製造し、特に近年は住宅環境や飾る場所のTPOを考慮して、具体的に提案する新作シリーズを毎年発表し続けている。長年、お飾りなっても飽きのこない物をと心がけ、抑えた色調と独創的な形、かわいらしさの中にも日本古来の美を表現しようと、製作を続けています。常に観察力を持って好奇心を働かせ本物を見ます。それは芸術品を見るといったことだけではなく生活の全てや人間観察、動き、姿、部分的美、精神面と関連する心と動き、表情なども大変重要なことです。
幼少の頃より、実父である初代の傍で人形師としての心がまえを学ぶ。18歳より、初代から人形制作の手ほどきを受け、修業を重ねる。昭和61年、初代が創りあげた人形づくりの奥義(昭和41年、文部省より無形文化財に指定される)を研鑽の末に修得し、二世の襲名を許される。その後、創作人形の分野においても数々の独創的な作品を生み出し、意欲的な活動を展開している。多くの方々からたくさんの温かい励ましのお言葉を戴きながら、今日までとても楽しくお仕事をさせて戴いて参りました。そして、これからも、私の作るお人形を通して、少しでも多くの方々に心の安らぎを感じて戴くことができれば、こんなに嬉しいことはございません。
岩槻出身の大里彩師は幼き頃からその環境から数多くの人形と出会って来た。そこで養われた独自の世界観と見る目の厳しさは、今でも健在。現在は工房を千葉に移して日々製作に励んでいるが、外注を一切排除し、クレームの無いきれいな商品製作に心をさいている。女性ならではの、女性の為の木目込み人形造りに精通する、こだわりの女流木目込作家。江戸時代より受け継がれた技術と、伝統的な色彩に、独特の技法と独自の色彩感覚を融合させたその作品は、女性らしい優しさあふれる人形として注目を集めています。素材から仕上げに至るまで全てをオリジナルとし、鋭い感性で仕上げていくその作風は、作品の随所に現れる細やかな気配りで感じ取る事が出来る、こだわりの女流職人です。
石川潤平工房は、初代石川潤平が、戦前から頭師として人形作りに携わり、江戸木目込人形専門の工房を創設。昭和53年、江戸木目込人形が国の伝統工芸品に指定され、同時期に初代伝統工芸士として認定。日本の皇室や歴代アメリカ大統領に贈られ愛好されている作品でもある。現在の二代目潤平は1947年埼玉県に生まれ、無形文化財認定人形作家である父に師事。1999年二代目潤平を襲名。西ドイツヘッセン州立ハーナウ人形博物館に木目込み人形を寄贈。明治神宮に木目込人形「官公」を奉納。2002年おぼこ大将「枠目彩色」を発表。2003年伝統工芸士に認定される。
大正 7年、東京市浅草にて生まれる。平成5年 皇太子殿下ご成婚のお人形製作。天皇、皇后両陛下への献上品製作。その後、人間国宝 小宮康孝染色江戸小紋をひな人形にとり入れ、平成16年無形文化財の認定を受け、さいたま市より文化章を受章。平成22年[92歳]岩槻にて永眠。人形創作暦70余年は、一つ一つが「名人 賢一の技」。無形文化財 鈴木賢一の創り上げる木目込み人形は長年の確かな経験から生まれる独創的な美しさがあります。こだわりの本格「龍村裂」を使用し、美しい独特の形、そして表情と動きを感じさせる。シンプルかつ豪華で飽きのこない本物の品です。
1966年甲冑作りの家 東京に生まれる。父(甲冑師 二代目道斎 ・ 三代目雄山)に師事。第十五回『全国新作節句人形コンクールにおいて内閣総理大臣賞特別賞を受賞。独学で子供のイラストを基に人形制作を始め2004年壹三作品発表。甲冑師四代目雄山としても活躍。2008年伝統工芸士に認定される(江戸節句人形)2011年フランス・パリにて開催された『WABI-SABI』に壹三人形が出展され、高い評価を得ている。時は過ぎ、甲子八の時代とは比較にならない程の素材や技術が向上しましたが、甲子八の職人魂は当代にも受け継がれています。今も昔も親が子を思う気持ちが変わらないのと同じように、私達も初代「鈴甲子」の教えを守り確かな技術と情熱を持って甲冑作りに精進いたしております。
原米洲。1893年、原米洲誕生。1966年無形文化財に指定、黄綬褒章を受章し、後に勲五等瑞宝章を受章。1973年パリのニースにおける日本伝統美術工芸展に出品し、パリの人類学博物館にて、作品が永久展示となる。翌年、皇室 東宮御所に御所人形各1点を献上。その後もオーストラリアやスウェーデンなど海外の展示会や美術館に次々と作品を出展。米洲は国から無形文化財の指定をうけてもなお人形師として勉学に励みました。東京芸術大学に通い、美術解剖学の教えをうけ、喜怒哀楽に伴う筋肉の動きについて学び、人形の顔の原型を作りの参考にしたこともそのひとつ。また、配色の研究も行っていました。理想的な人形の顔は穢れのない幼子の顔であるとし、仏様にも通じる慈愛に満ちた、ふくよかで円満な顔を製作しました。
昭和13年6月、先代平安武久の長男として京都市に生まれる。経済産業大臣認定 伝統工芸士認定後、京都市伝統産業技術功労者として表彰を受け、平成20年11月 瑞宝単光章受章。一水、粟田口清信と並ぶ京甲冑師の重鎮のひとり、「平安武久」。一子相伝に受け継がれた技と細部にまで心を行き届かせた京甲冑師の雄。技は京物ならではの重厚さを漂わせ、本来の京甲冑の贅をつくしている。京人形司平安武久作の甲冑は、京都の歴史と風土を背景に伝え継がれた伝統に裏付けされた、確かな「京もの」です。武久の技は、京物ならではの重厚さを漂わせ、本来の京甲冑の贅をつくしています。
昭和21年1月1日東京に生まれる。祖父の代より人形師の家に生まれ、昭和43年家業の人形店に入る。平成6年、玉鳳を継承し、今日に至る。先代玉鳳の特徴を受け継ぎ、鍬形・吹き返し・屏風に彫金細工を施した製品を多数出品し、東京節句人形コンクールにて、内閣総理大臣賞、文部科学大臣賞、都知事賞等を受賞する。玉鳳作商品の特徴は左右の吹返しや屏風に付けた花鳥風月の緻密な彫金金物と袱紗や塗屏風、忍の緒等の色彩感覚の調和された美しさです。
現代住宅事情にマッチした各種コンパクトサイズの品物がお部屋に華やかさをそえ、お子様のすこやかな成長を願う初節句をお祝いしていただけます。
昭和44年7月14日埼玉県越谷市にて大越家十九代目長男 として生まれる。「伝統と現代が融け合うような作品づくり」が大越忠保の甲冑製作のテーマである。常に新しい作品づくりにチャレンジする旺盛な創作意欲には、創造を心から楽しむ芸術家の姿さえ感じられる。内閣総理大臣賞をはじめ数々の受賞実績をもつ、才気あふれる逸材である。女鎧師『大越忠』が祖、全国を訪ね歩き史実に基づいた鎧・兜づくりをモットーとする大越忠保。NHK大河ドラマ「天と地」の上杉公、武田公を手掛けるなど、 各方面に絶大な信頼を置かれています。どなたでも飾りやすい、丁寧な作りの非常にバランスの良い鎧・兜飾りです。